平成26年の法話

【法話の中より人生の道しるべを得よう】

平成26年4月28日
26年-1 『はじめに』

今年も早3分の1は過ぎ去ろうとしています。
法話もなかなか掲載できず、誠に済まない事と思っています。
今年からは、光福寺で法話会や写経会・瞑想会の後、お話している話しを、少しづつ掲載していきます。

皆様は、仏教に付いてよくご存じの方が、殆どかも知れませんが、余り仏教に接した事の無い方の事も考え、仏教の基本的な考え方や教えを、今後ご紹介していきたいと思います。

仏教と言うと、皆様は葬式や法要が直ぐに頭に浮かぶかも知れませんね。
しかし、それは全く違います。そこから少し、仏教とは何かをお話致しましょう。

お釈迦様は、教えを誰にでも解る様に、非常にやさしくお話なしされたと、伝えられています。 でも、その後中国で漢訳された経典や、学僧達の話は、非常に難しく解りにくいものと成ってしまいました。
今日では、一般の知識で理解する事は、非常に困難と成り、『仏教の話は難しい』と、一般的に言われる様に成ってしまいました。 残念な事です。

ここでは、なるべくたやすく理解出来ると共に、釈迦様が何故そんな話をおなさったかも、解って頂ける様に、お話しするつもりです。
でも、経典等を引用した所も多少有り、全てを理解する事は難しいかも知れません。経典などは理解しなくても、おおざっぱに内容だけを理解して下さい。 今後もっと深く勉強したいと望まれる方には、各自が勉強し易い方向では、お話致します。
この話から仏教に興味を持って下さる方が、少しでも有れば、最高の幸せです。

お釈迦様の基本的な教えは、死後の世界では無く、『現世で私達が、如何に生きれば幸せな人生を送れるか』、と言う事が大きなテ-マと成っています。 少しでも教えの内容を知ると共に、如何なる心構えで生きるべきかを学び、こころ安らかで幸せな日々を送れる様に心掛けましよう。 

私も、勉強中の身ですから、お釈迦様の教えのほんの僅(わず)かしか理解していません。しかしお釈迦様は、布施波羅蜜(ふせはらみつ)の中の法施(ほうせ)で、『自分の知っている範囲の事を、縁が有る人達に伝える事が大切で有る』と、教えておられます。
今後も勉強してより深く理解し、お話出来る時期が来るかも知れませんが、それまでは私の知識の限り全力でお伝えします。
皆様も、縁ある方々にお釈迦様の教えの少しでもお伝え下されば、幸です。
今後皆様と共に勉強していきましょう。宜しくお願い致します。

皆様のご意見やご質問が有りましたら、メ-ルでお寄せ下さい。
皆様のご意見も参考にし、今後の勉強に生かしたいと考えています。

次回、『お釈迦様の生涯』から、簡単に紹介していきます。




平成26年6月10日
26年-2 『お釈迦様の生涯』

法話が少し間が空きましたが、最初に仏教の生みの親で有る『お釈迦様』について、簡単にお話しましょう。

誕 生
紀元前五世紀に、インドの北部(現在のネパ-ル付近)を治めていた、シャカ族の王 浄飯王(じょうぼんのう)とその妃摩那(まな)夫人の間に王子として、
4月8日にルンビニ園で生まれ、名前をガウタマ・シッダ-ルタと名付けられました。(4月8日は灌仏会(かんぶつえ)又は誕生会と言い、釈迦の誕日を甘茶を掛け祝う)
母は、王子の生後1週間で他界されました。
その後、母の妹が新しい母と成り、その王子は健やかに成長しました。 

王子(後の釈迦)は、生まれると同時に立ち上がり、四方に七歩ずつ歩き、一方の手で天に、一方の手で地を指して、『天上天下唯我独尊(てんじょうてんがゆいがどくそん)』と唱えたと有ります。
これは釈迦は生まれながらに、仏様で有ると言う考えですが、私はお釈迦様は、私達と同じ人間で有り、修行の末悟りを得て仏と崇められる方に成ったと言う立場で説明して行きます。
この考え方の違いは、お釈迦様のとらえ方に違いがあります。
お釈迦様を、生まれながらに仏と言う考え方は、現在の大乗仏教のとくに顕経の考えです。しかし、お釈迦様は人として生まれ、後に悟りを得て仏と成ったと言う考えは、密教の考え方です。

では、説明を続けましょう。この後王子時代は幸せに暮らされていました。
7才にして既に、天文学・占星術(せんせいじゅつ)・祭祀学(さいしがく)・文法学・数学の学識に富んでいたと言われています。
また当時王子は、世の中の弱肉強食を知り、その後に城外の民衆の悩みや、生・老・病・死の苦しみを知りました。
後に、このシャカ族の国を、お釈迦様は『雪山の中腹に、正直な一つの民族が居ます。昔から大国コ-サラ国に属する小さな部族国家の住民で有り、富と勇気を備えています』、と話しておられます。

結 婚
ガウタマ・シッダ-ルタ王子は、16歳でヤショ-ダラ-と結婚し、長男ラ-フラを授かりました。その後もう一人の子供も授かっています。
この時代も、物質的には何不自由の無い、生活をされていました。
しかし、王子時代から民衆の悩みや苦しみで有る、生・老・病・死の苦しみについて、悩み続けておられました。


出 家
王子は、弱肉強食や世の中の現実を見て依頼、物質には恵まれても精神的に満たされないと悩み、『人々の悩み苦しみは如何にしたら消え、幸せな日々か送れるか』と言う事に、思いを巡らす日々を送っておられました。
城の南門で、毅然(きぜん)とした沙門(しやもん)に会い、シッダ-ルタは迷いの世界から解脱(げだつ)すると言う、理想の姿を見て、自分の進むべき道を決意されました。
29歳の時、妻ヤショ-ダラ-と2人の子供を残して出家し、僧名をゴ-ダマ沙門(しゃもん)と成られました。

難行苦行の修行
最初にア-ラ-ラ仙と言う師僧により、禅定(ぜんじよう)の坐禅(ざぜん)瞑想による精神統一を計る修行をし、教えを取得されました。
次にウッダカ仙を師僧とし、より高い思想を学んで取得されました。
ゴ-ダマ沙門は、2人の師僧に学びましたが、満足できず、ウルヴェ-ラ地方のセ-ナ-ニ村で、生死を掛けた非常に厳しい苦行を行っていました。
その当時ゴ-ダマ沙門を尊敬して集まった、六人の苦行者集団が出来ました。 ゴ-ダマ沙門は、更に激しい修行をし、ボロボロの衣服をまとい、骨と皮に成っても、何ら心の安らぎを得る事は出来ませんでした。

中道思想に気づく
生死を掛けた厳しい苦行中に、一人の農民の娘が俗歌を口ずさんでいました。
その歌は、『琵琶(びわ)の弦(げん)は、きりきり締めればぷっんと切れる、さりとて弛めりゃ、べろんべろん』。ゴ-ダマ沙門は、この歌を聴き、深く意味を噛みしめられ、王子時代の贅沢三昧や、今の生死の境の難行苦行の無意味さに気づき、中道思想の大切さに気づかれました。
苦行で痩せ細り、垢とホコリにまみれた体を、尼蓮禅河(にれんぜんが)で沐浴(もくよく-体を洗い浄める事)してい時、流れにはまり命を落としそうに成り、危機一髪のところを帝釈天に助けられました。
助けられて岸にあがり休んで居たら、セ-ナ-ニ村の村長の娘スジャ-タが、介抱してくれました。娘から毎日乳粥(ちちがゆ)を貰い、二ヶ月間でゴ-タマ沙門は回復しました。

真理に目覚め、悟りを開く
苦行で生死の境をさまよい、人里のセ-ナ-ニ村に降りて来て、村の村長の娘に、乳粥を与えられ介抱を受けて助けられたゴ-ダマ沙門は、体力の回復後、村の近くのブッダガヤの大きな菩提樹の下に坐り、心静かに瞑想をしました。 色々の魔性(心の迷い)に悩まされたましたが、49日後に悩み苦しみから脱却する真理(悟り)を、得る事が出来ました。 
そしてブッダ(悟りを得た人)と成りました。  
その時ブッダは、35歳でした。


鹿野苑(ろくやおん)で初めて法を説いた。
                 (初転法輪)

ブッタは自分の悟りの心理(理論)は難しく、到底他人には理解して貰えぬと考えていました。
しかし、そこに梵天(ぼんてん)が現れ、ブッタに悟りの法を皆に説き、広める様にと勧めました。 その勧めのとおりブッタは、同じように修行した5人の沙門(後の弟子)に、鹿野苑(ろくやおん)で初めてその法を説かれました。


伝道活動
その後多くの人々(僧侶や豪族・豪商の出家者)に、苦から脱却し悟りを得る方法(真理)を教えられました。
その教えが後に仏教の基と成りました。
その真理である、『中道思想』・『三法印』・『十二縁起』や『四諦(したい)』・『八正道』・『六波羅密』などを、相手に解るように易(やさ)しく教えられました。
それが後、ブッタで有るゴ-ダマ沙門は、お釈迦様(釈迦)と言われる様に成りました。  後に、お釈迦様を中心として、仏教教団(精舎)が出来、多くの人々が集まり弟子と成りました。


入 滅
釈迦は、悟りを開いてから45年後八十歳で、クシナガラに最後の旅に発ち、その途中で、クシナガラの二本のサ-ラ樹の間に北を頭にして床をもうけ、右を下にして横になり(涅槃像)、疲れきった体を休められました。
その時サ-ラ樹は、開花の季節でも無いのに花が咲き、釈迦を迎えたと語られています。
横に成られた床の周りには、多くの出家修行者や在家の信者や諸天・諸神・鳥獣が集まり、それらの者に最後の説法をされ、やがて禅常(ぜんじよう-瞑想)に入られ、そのまま皆に見守られながら、入滅(死亡)されました。
お釈迦様は、『死後は葬式などはしないように』と言われましたが、死を悲しんだ弟子達が、ガンジス河の岸で火葬し、骨を埋め塔を建てました。
それが後の仏舎利塔で有り、日本の各寺で見られる、三重の塔や五重の塔の形と成りました。

これで簡単に、お釈迦様の生涯をお話致しました。
次回からは、お釈迦様の教えの内容について、お話します。
お釈迦様の教えの基本は、最初に申しましたが
、『私達は、如何にしたら幸せに暮らせるか』と言う、考え方と実践方法です。
この幸せの考え方と実践方法を、少しでも理解し、日々を幸せに過ごしましょう。



平成26年8月10日
 『お盆と施餓鬼供養について』

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 今月はお盆の月と成りましたので、お盆と施餓
 鬼供養について、お話致します。 施餓鬼に
 は、目連(もくれん)尊者と阿難(あなん)尊者の
 二つの話が有りますので、その二つをお話しま
 す




お盆と施餓鬼の由来

目連(もくれん)尊者の施餓鬼は、『盂蘭盆経(うらぼんきよう)』によると言われています。
この経典によると、お釈迦様の十大弟子で神通力者第一と称される目連尊者が、神通力により亡き母の行方を探すと、餓鬼道に落ち、体は痩せ衰え骨ばかりで地獄の苦しみを得て居ました。目連尊者は神通力で母を供養(救うこと)しようとしましたが、食べ物はおろか、水も燃えてしまい、飲む事も食べる事も出来ません。
目連尊者は釈迦に、『何とか母を救う方法はないでしょうか』と尋(たず)ねると、お釈迦様は、『お前の母の罪はとても重い。それは生前には、人に施さず、自分勝手だったので、餓鬼道に落ちたのだ。それを救うには、多くの僧が九十日間の雨季の修行を終える七月十五日に、多くのご馳走を用意し、経を読誦し、心からこれらの僧に布施をし供養しなさい。』と言われました。
目連尊者が早速言われた通りにすると、目連尊者の母親は餓鬼の苦しみから救われました。
目蓮が、お盆にご馳走などを乗せて、僧に配った(布施した)為、それがお盆と言う様に成り、7月15日が盂蘭盆の起源と成りました。

これに対し、阿難(あなん)尊者の施餓鬼は、『救抜焔口餓鬼陀羅尼経(くばつえんくがきだらにきよう)』によるものなのです。
お釈迦様の十大弟子で、多聞第一と称される阿難尊者が、静かな場所で瞑想していると、焔口(えんこう)と言う痩せ衰えて、喉は細く口から火を吐き、髪は乱れ目は奥で光る、醜い餓鬼が現れました。
その餓鬼が阿難尊者に向かって、『お前は三日後に死に、私の様に醜い餓鬼に生まれ変わるだろう』と言いました。
驚いた阿難が、『どうしたらその苦難を逃れられるか』と、餓鬼に問いました。すると餓鬼は『それには我々餓鬼道に居て苦るしむ多くの者や、あらゆる困苦の者達に、食べ物や飲み物を施し、仏・法・僧の三宝を供養すれば、汝の寿命は延び、我々も又苦難から救われる事が出来、お前の寿命も延びるだろう』と言った。 しかし多くの餓鬼や苦の者に、食べ物を与える為の多額の金銭を持たない阿難は、お釈迦様に助けを求めました。
するとお釈迦様は、『観世音菩薩の秘呪がある。一器の食物を供え、この『加持飲食陀羅尼(かじおんじきだらに)」』を唱えて加持すれば、その食べ物は無量の食物と成り、全ての餓鬼は充分に空腹を満たされ、無量無数の苦難を救い、施主は寿命が延び、その功徳により仏道の真理おも悟り、体得する事が出来る』と言われました。
阿難が早速その通りにすると、阿難の生命は延びて救われました。
これが施餓鬼の起源とされているのです。

施餓鬼(せがき)とは
訓読すれば『餓鬼に施す』と読める事からも判る様に、六道輪廻(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)の餓鬼道世界に、死者の堕ちた魂の為に、食べ物を布施(ほどこす)し、その霊を供養する儀礼を、『施餓鬼』と言います。
餓鬼は、食べ物が有っても、食べ様とした途端に食べ物はたちまち炎となってしまい、食べる事が出来ず、絶えず飢えの苦しみの状態に居ます。
餓鬼は、飢えを癒す事が出来無いのです。自分の力ではどうしようも無い餓鬼に、飲食の施しをするのが『施餓鬼』なのです。

法会の時期は、盂蘭盆として旧暦の7月15日(中元)に行われるのが一般的です。 日本におけるお盆の場合、お精霊(しょうらい)様と呼ばれる各家の祖霊が、一年に一度、家の仏壇に帰って来るものとして、盆の期間中、盆供(ぼんく)として毎日供物を供えます。 それと同時に、無縁仏と成り、成仏できずに俗世をさまよう餓鬼にも、施餓鬼棚を設け供養する風習が有ります。

施餓鬼会(え)(供養)では、施す対象は餓鬼に限らず、三界万霊十方至聖(しせい)にも及び、上は三宝(仏・法・僧)から三界万霊(「三界」とは、欲界・色界・無色界、あるいは、過去・現在・未来の3つの世界、それは、生きとし生けるもの全てがめぐる世界のこと。我々生存者の生き霊も含む)や、下は六道の餓鬼までを供養すれば、其の福益は百倍と成ります。
『単に施餓鬼食に限らるものでは無い事を、よく知り行いなさい』と、『大施餓鬼集類分解、施食の時節』に明記されています。
これらの功徳は、我々のみでなく先祖にも及ぼされます。

浄土真宗においては、施餓鬼会は行われて居ないようです。
曹洞宗においては、施す者と施される者の間に尊卑貴賤の差があると、厳に戒むべきものだとして、「施餓鬼会」を「施食会(せじきえ)」と、改めて呼称しているそうです。

また、施餓鬼は盂蘭盆の時期に行われるのが、通例となっていますが、本来は特定の時期(つまり盂蘭盆)の時だけに限定して行うものでは無いのです。 これは、目連尊者の伝説と、阿難尊者の伝説が似ている事から、世間において、2つの話が混同され、多くの寺院において盂蘭盆の時期に施餓鬼が行われる様に成ったと言われています。


平成29年8月

法話が大分時が空きましたが、今後時間の有る限り投稿して参ります。
今日はもう一度仏教の基本からお話しましょう。

仏教の教えとは。仏教の特徴について


最初に仏教とは、仏の教えと書きます。
仏とはお釈迦様のことです。ではお釈迦様の教えは何か?と言うことです。
それは『私達が、日々如何に生きれば幸せに生きれるか』と言う教えです
だから、仏教はお釈迦様が『如何に生きれば私達は悩み・苦しみ無く、幸せに人生を送れるか』を私達に教えて下さったのです。
この内容を、分かりやすく今後お話して参ります。
ここでは私達が如何にしたら、日々幸せに暮らせるかを皆様と共に学ぶ場所です。

私達は、『幸せに成りたい』と常日頃想っていますが、「幸せとは何か」と質問されると、明確に答えられる方は少ないと思います。
私達は、日々悩み・苦しみを抱き、「自分だけが何故こんなに、悩み苦しみ苦労するのか」と観じているものです。
「この悩み苦しみの苦労が無かったら、如何に楽で幸せだろうか」とも考えます。
私達皆が望む『幸せとは』と『幸せに成るには如何にすれば良いか』について、明確に解り易く教えて下さっているのがブッダ(お釈迦様)です。
ブッダは、死後にお釈迦様と呼ばれ、釈迦如来と言われている方です。

私達にとって、 1)幸せとは何か?。 
          2)その幸せは、如何にしたら得られるか?。
          3)日々如何に暮らす事が、幸せにつながるのか?。
の基本的な要点を少しずつ学んでいきましょう。

ブッダは幸せについて、修行の後瞑想により深い集中力と洞察力で、身体や魂が如何にこころ(深層心理)に反応しているかを、体感し探求して悟られました。これはその事に気づいたと言っても良いでしょう。
その悟り(気づき)即ち幸せに成る方法を、哲学的に解り易く私達に説きかれています。
お釈迦様とは、ブッダが死後に仏と成られ、私達はお釈迦樣または釈迦如来と言っております。
お釈迦様の教えは、仏の教え、すなわち仏教と言う形で、現在私達に伝え残されています。
ですから、これから学ぶ内容は、お釈迦様の基本的な教えである、仏教と成ります。
人々は、仏教徒やキリスト教徒やイスラム教徒や他の宗教徒と、色々の方が居られると思います。
どんな宗教にも幸せに成る方法は、教えられているとは思います。

仏教と他の宗教との基本的な違いは何でしょう。
それは仏教の前提と成る次の事柄を理解すれば良く分かります。
では仏教の前提となる事柄とは、
  ①教えを理解せずに、信じて信仰するものでは無い。
  ②幸せに成る方法を具体的に説かれた、実践行(道)である。
    死後幸せに成るのでは無く、現世で幸せに成る道である。
  ③人は生まれながらに、善浄(善良で清らか)である。
  ④人は全て平等であり、上下の差は無い。人を差別してはならない。
  ⑤他宗教や民族の習慣・思想は寛容に受け止め、争ってはならない。
これが仏教の特徴で有り、他の宗教と大きな違いです。

先ずこれらの事を知り、少しずつ学んでいきましょう。

1)先ず、『幸せとは何か』を、考えましょう。

私達は、『幸せに成りたい』と常日頃想って居ますが、幸せとは何かと質問されると、明確に答えられる方は少ないと思います。
私達は、日々悩み・苦しんで「自分だけが何故こんなに、苦労するのか」と感じているでしょうこの苦労が無かったら如何に楽で幸せか」
とも考えます。
そうです
悩み・苦しむ事が不幸のもとなのです
悩みや苦しみの無い状態では、心は平穏で安らかな状態なのです
   

『悩みや苦しみが無く、平穏で安らかな心の状態』が、幸せなのです。
   
これを仏教では、『涅槃(ねはん)や彼岸(ひがん)の境地』と言って居ます。

幸せの心境で、何かの目標に向かい、それに前進している事が確信出来るなら、そこには幸福感や充実感や満足感を味わう事が出来ると思います。

幸せとは何であるかが大体理解出来たら、
  1)不幸の原因は何か
  2)幸せは如何にしたら得られるか、
  3)如何に日々暮らす事が、幸せにつながるかを、
次回からこれらの基本的な要点を、お話していきましょう。

  

ご意見の有る方は、下記のアドレスよりメ-ル下さい。

メールアドレス koufukuji@ion.ocn.ne.jp



by koufukuji | 2017-08-09 13:24 | 法 話(道しるべ)  

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